昭和57年03月22日 朝の御理解
御理解 第7節
「天地金乃神は昔からある神ぞ。途中からできた神でなし。天地ははやることなし。はやることなければ終わりもなし。天地日月の心になること肝要なり。信心はせんでもおかげはやってある。」
ある人達が集まって象の論議をしたというのですね。象ってあのぞうのことですね。ある人は象のお尻のところだけを撫でて、もうとてつもない大きなまあ、大きなその桶のもんだという。ある人は鼻のところだけをあたってね、あの長い鼻があってま、フラフラしたようなもんだと。又ある人はあの大きな足に当たって、象というのはまるっきり大きな柱のようなもんだと、まあいったという話がありますが。
私は過去数千年間に説かれてきた宗教というものは、決してそれがあのう、嘘とは思われないけれどもその象のお尻を撫でただけで、足の所を触っただけで、鼻の所を見ただけで、象とはこんなもんだという風に言って来た様に思うです。教祖金光大神に依って、初めて象というのはこういうもんだといわゆる、天地金乃神様の本当の御正体、本当のお心、そして、この神様は人間氏子をもう幸福にせずにおかんというお心だけしかないと、言う様な事をまあ分かられた。
そう言う所が私は今日の御理解第7節ね、昔からある神ではあるけれども、その神様の全てを言う事ではなくてね、まいうなら天の心だけを説いたとか、地の心だけを説いたとか言った様なものであるところに、完全なる人間の救い、本当の助かりにはならなかったと言う事を思うです。確かに信心はせんでもおかげはやってあるとおり、そういういうなら、まあ宗教と言うか、その事が天地の事が分からんなりにも、やはりおかげを頂いて来たことは間違いないのですから。
此処にその神様を分からしてもらい、その神様のお心に添い奉る生き方をして、天地の親神様が願っておって下さる人間氏子全ての者が、信心しておかげを受けてくれよという、その願いに私共が答えさせてもらえる信心。これはもう金光教以外にはないと思うですね。全てのことが分からん。けどもその事が分かることの為に、まあ色々な修行をさして頂くわけですけれども、天地日月の心になること肝要だと。
ですからね、ただ金光様の御信心はその心になる事に専念する、又たくさんの御教えも天地日月の心になる事の手だてが、もう手だてだけが説いてあるというてもよいと思うですね。天地金乃神様のうならば、お心をお心として頂いていけれる生き方。それは天地日月の心になる事だと言う事なんです。他にてはない。言うならば天地日月の心。天地の全ての事が分からしてもらい、頂いていけれるのである。
昨日研修の時に皆さんそれぞれに見事なまとめがしてございましたが、人間は土より出て、土に帰るのだと言う事をまあ、あらゆるまぁ宗教、又は学問的にいうてもね、やっぱりそう言う事になるんだそうですが、土から出て土に還るんだと言う事が説いてある、説明してあるまあ説いてある。これは本当かどうか分からんような感じで説いてあるね。ですからそれを本当な事と分からせて頂く為の信心は、合楽理念に依らなければ、それを確信することやら、それを確証する事が出来ないね。
だからあの土から人間が出て、土に帰っていく、だからその道中とても土の心でというのであるね。だからその「だから」とところに大変なその重みがあると言う様な事を、ま話した事でしたね。いうならばあらゆる宗教がまあ、例えば天理教の例を取ると、元はじめという言葉で元はじめというのは、やっぱりそう言う様な事が説明してあるらしいですけれどもね、そんならその土の心でいけと言う事を、説いておることやら、ものはないです。なら今日の御理解頂いてもそうです。
天地日月の心になる事肝要とある、何故なのか。私共が拝んでおる神様は天地金乃神でね、途中から出来た神ではない、昔からある神であり、その神様と教祖金光大神のいうならば、正面切っての出会い、全てを拝まれた世界、そこには天だけでもなからなければ、地だけでもない。天地日月の心を心としていくことが肝要なんだと、あまりにも大きな事だから、中々の様な事だけれどもね、合楽で言われる言うなら、合楽理念に基づいてね成り行きを尊ぶ、黙って治めると言った様な事が。
まあそれは土の心だとこういわれるね。その土の心を本気で精進させて頂いておると、先だって北野の青木さんが頂いておられるようにね、合楽理念の実験実証さして下さいと、願うところにその湖の水がね、青木さんは転回といわれたけれども、私はま転回は転回ですね、ダーッとこうその水が渦が巻きながらこう天に昇天していく、その御心眼を頂いたとこういうね。だから本当に土の心なら土の心に徹していきよると、天の心にも通じるし、日月の心にも通じると言う事になるんですね。
私は今日はこのそのだからと言う所を、皆さん一つ分かって頂きたいと思う。天地金乃神様を拝んでおる、だから天地日月の心にならなければいけないと、教祖は説いておられるんですだからなんですね。そこにいうならば今合楽でいわれる、十全の信心と言う事がいわれるのですね。人間の幸福だけを願って下さる。昨日一昨日でしたか西日本の印刷部の方達が三名でやって来て色々此処のたくさんの、ま沢山ち言う事じゃないけれども、此処から色々な新聞やらいわゆるおかげの泉とか、合楽だよりなんか出ておる。
そして色々まあアドバイスを受けて下さったんだそうですが、昨日若先生が申しておりましたが、どうでもその、合楽で三十年間説かれてきた御理解というものが、とにかくそうですね、こんなに厚い大きな本で百二十冊分あるそうです。合楽に御理解がずうっと書きとどめてあるとが。それずうっと計算して下さった。それには月次祭のお説教とか、例えば霊祭とか、というのは又別にある。
朝の御理解だけが百二十冊、それも大変な本なんです。大きなもう書架を作るというなら、大きな本棚をつくって、それにぎっしりこう詰まるような立派なものにするなら、しなきゃいけない、たとえ読まんでも見るだけでもいいね、というね。その合楽のま三十年間説かれてきたことはどういうことかというと、もう一切が天地日月の心になる事を見やすう頂けれる手だてばっかりが、説いちゃるんです。で昨日私今度の信徒大会でね、あの本がパンフレットがございますね。
色々詳しく書いてあるが、中に合楽の御比礼の模様が、この参拝者の数がずうっとこのグラフに表してあったのがございますね。それがね途中でね二回だけちょっとこう、落ち込んどる所があるんですよね。続いてこうちょっというならば百人参りがあったのが九十人というようにちょっと下がっとるんです。大体ずっうと上がらにゃいかんのに、そこだけ下がっとる所があるんです。此処はどうした事やろかと、色々思うて見て、はあ私がね、もう本当にお詫びの信心と言う事に、あの焦点を置いて。
もうお詫びする以外にはないと、もう詫びるより他にはないとね。本当に神様に交うたら、同じ結果が得られるんだと、言った様な意味の事を説いてきた。だからそのお詫びが適えばであるけれども、適ってないところが落ち込んでると、いう風に思うです。最近私の信心はもう願い一本です。勿論御礼も申しあげんわけではないですけれども、ならお詫びをしないわけではないですけれども、なら、お詫びをしない分けでもないですけども、それは三代金光様のお言葉じゃないわけですけれどもね。
御礼の足りないお詫びばかりを致しております”と言う様な程度のお詫びなんです。
ですからもう合楽の信心は願いが芯です。御礼が芯です。ひょっとすると合楽理念にはもうお詫びというのがなくなるのじゃないだろうかと、思われるような感じが最近するんです。何故かというとね。お詫びという心になると、人間が落ち込むんです。自分という者を見極めていけばいくほどです。
それこそ高橋政雄先生じゃないけれども、それこそ見ること見ること自分を見ることと言う事を、もうそれっこそもうとんでもない、いわゆる汚いものばっかりになってくるんです。だから結局我は屑の子であり、自分はつまらんという風な落ち込んでいきますから、おかげが頂けん。人間が幸福になると言う事には、つながらない。だから天地金乃神はね。おかげ受けてくれよの願いの神様ですから、私共もその願いに答えなければいけん。という風にあのグラフに表れておる。
落ち込んでおるところを、私のあの時分の信心というのがね、御願いも御礼もありましたけれども、このお詫びが芯であったという時代やろうと、いう風にまあ思うた事でございますけれどもね。天地日月の心になる事肝要と、だからだからね、天地金乃神ね、今までは誰もその全貌というものを、知ることが出来なかった。足だけをとらえたり鼻だけをとらえたり、お尻だけをとらえたりと言う様な、程度であったから、完全なおかげになっていかなかった。
もういよいよ落ち込んでいく、まあ罪が深いから因縁だから、と言う様な事になってしまったわけですね。それをこの全部の天地金乃神様の全貌を分からせて頂いたら、天地日月の心になる事肝要と。もうそうならなければならないように、合楽理念は説くのですね。それをまあなら簡単です明瞭ですという風に説きますから、問題はもうならとにかく今日からというわけですね。
今日からひとつ黙って治める信心の稽古をなさい。これがもう土の心ですよ黙って治める。もうなら黙って治める、黙ってさえおりゃいいのですねというのだから、こんな簡単な事はない訳ですね。いわゆる天地日月の心になる事肝要といわれる、いうならその全てが分かっていく手立てがです、いうなら土の心に徹する事だと。というてもまいいのです。それをならば様々な時、様々な角度から頂かして貰うと、私共が三十年間説いてきたお話。そのものがですね。それをいよいよこの具体化する事になるのですね。
ですからどうでもね、いわゆる天地金乃神と申す事は、と言う事はです、その天地金乃神と申すことはという、その天地金乃神様をいよいよ私共の、神様の心を心とする手だてが、天地日月の心なんですね。私共がその天地金乃神様の全貌に触れた。だからその全貌が分かる。なら全貌が分かっただけでなくて、それを自分の心に頂く、それを合楽ではね、天地人一如の世界という風に説くのです。
これはもう大変な事だから、そんな事は出来まい、ち、言う事じゃないです。その気になれば誰でも、天地人一如の世界に住むことが出来るんですね。それこそ昨日から私が云いよる、だからね、天地日月の心になる事に本気にならなければならない。なら天地日月の心ちは、どげんなったら、どこから取り組んだらよいか分からないほどしに、とてつもない偉大なものなんですけれども、まず手始めにですね。
いうなら黙って治める、成り行きをいよいよ大切にすると言った様な所から、徹底して入って行く事になればですね、神様が本当にバックだなあと、思われるようなおかげの世界に住むことが出来るんでね。今日は昨日からいっておるね、天地金乃神様のを信心して拝んでおる。だから天地日月の心にならなければいけませんよ。 そりゃぁ、難しいでしょうと言わずに、本気で合楽でほんなら、土の心に徹すると言うことに徹していくならば、その全貌がやがて分かっていくようになり、そのやがてその、天地日月の心が自分の心の中に入って下さるような、おかげになってくるということです。
もうどうでも天地日月の心になる事肝要であるね。それは天地金乃神様の御信心の全貌を、教祖金光大神がこのようにも、つまびらかにしておって下さるのだから、それを頂かずしてどうするかね。 それを頂かずしてはどうするかと、言う様な気持ちで私はね、いよいよ土の心にね、成り行きを尊ぶ。成り行きそのものが、神様の全てであるね。その中には、苦い事もありゃ、甘いこともあるけれども。
それを苦い時にはあ、これは胃の薬を頂きよる時と思うてね。いうならばニンニクのような臭いもんの時にはね、これがいよいよ力にもなるのだという頂き方を持って、頂いて行く事に精進する徹底するね。もう本当に今までかつて説かれた事のなかった、天地金乃神様の全貌をです。いうなら折角分からして頂いているのですから、その全貌を私共の心の中に頂いていく、それは天地日月の心になる事以外にはないね。
なら天地日月の心になることは大変難しい事か、そうじゃない。もうその気にならば誰でもその気になれれる、その教えを行じようと思えば誰でも行じられる。問題はその気になること。天地金乃神様の御信心を頂くのだから、だからね、天地日月の心になる事。これはもう当然の事、当たり前の事ね。そこにいよいよ神様の願いに答えられる信心ということになるのじゃないでしょうかね。
どうぞ 。